中学高校の農業地理分野でもっとも重要なのは、恐らく混合農業でしょう。この混合農業を理解するためには、前提となる三圃式農業の理解が欠かせません。本記事では、三圃式農業の説明、そして三圃式農業と混合農業の間にあるフランドル農法やノーフォーク農法についても解説します。
三圃式農業の基本
三圃式農業は耕地を三つに区分し、それぞれ異なる利用をします。ですので、英語では three-field farmingと表記します。この三つの区画の利用法は、一般的には次の通りです。
三圃式農業
①冬播き穀物:小麦またはライ麦(食用)
②春播き穀物:大麦またはエン麦(飼料・食用)
③休耕地
これを毎年ローテーション(輪作)します。つまり3年に1回、土地を休ませます。高校地理の授業では、この説明で十分です。
二圃式農業と三圃式農業の本質的な違い
二圃式農業が地中海世界からアルプス以北に広がると、中世には三圃式農業に発展します。アルプス以北は西岸海洋性気候ですので、夏に乾燥する心配が有りません。また、落葉広葉樹林の影響やレスの分布などにより、土は肥沃です。そのため夏にも耕作が可能で、土地を休ませるのも3年に1回で済むようになりました。
しかし二圃式農業と三圃式農業の違いは、2年か3年かというサイクルの違いや、夏にも穀物を作るという表面的なものだけではありません。二圃式農業の時代には、家畜は自然放牧で、飼料を栽培したり牧草を与えたりはしていませんでしたが、三圃式農業では大麦やエン麦を飼料として与えます。また、二圃式農業の時代には家畜の糞を集めて肥料とすることはありませんでしたが、三圃式農業では家畜の糞を肥料とします。
つまり、自給作物・飼料作物・家畜が、一つのシステムの中で有機的に結びついているのが三圃式農業なのですね。これが二圃式農業との本質的な違いです。
二圃式農業については次の記事もあります
三圃式農業の変化
三圃式農業が広まったヨーロッパにおいて、各農家は、三つに分けた耕地をどのように利用するかは自由でした。つまり、何を植えるか、どのタイミングで播種し収穫するかは自由意志に任されていたのでした。
ところが、12世紀以降に状況が変わります。何をいつ植えるかが決められ、また作業は村で共同で行うこととされたのです。耕地は細長く区切られ、次章の図のように均等化された畑が各農家に割り当てられるようになりました。この均等化によって農家間の平等が生まれ、また集落の共同体的性格が高まったのです。
その後、14~16世紀には、マメ類、クローバー、根菜類など新しい作物の栽培が始まることで休閑地がなくなります。これをフランドル農法と呼びます。クローバーなどのマメ科作物は窒素固定とよばれる作用で土を肥沃にします。また、根菜類は土に大きな穴をあけてくれるため、収穫後に深く耕すことができるようになります。
フランドル農法
①冬播き穀物:小麦またはライ麦(食用)
②春播き穀物:大麦またはエン麦(飼料・食用)
③クローバー、カブなどの根菜類
17世紀には、フランドル農法がイギリスで更に発展し、ノーフォーク農法と呼ばれる四圃輪栽式農法が誕生しました。
このノーフォーク農法では、一般的に
カブ ⇒ 大麦 ⇒ クローバー ⇒ 小麦
の順に輪作していきます
ノーフォーク農法
①根菜類(飼料・食用)
②春播き穀物:大麦またはエン麦(飼料・食用)
③クローバー(飼料)
④冬播き穀物:小麦またはライ麦(食用)
19世紀には、休閑地はヨーロッパでは見られなくなり、三圃式農業は消滅します。
一般的な三圃式農業の地割
次の図は、地理関係の書籍で、三圃式農業の説明でよく使われるものを私が編集したものです。Jordan, T.G.(1973)『The European Culture Area』から引用されています。
この図を見て分かることは、各農家(aからh)の耕地が分散しており、農家間の平等がはかられていることです。そして耕地が細長く区分されていることが読み取れます。細長くなっている理由は当時の農具が原因です。ゲルマン犂(すき)とよばれる大型の犂が使用され、これを家畜がけん引するのですが、方向転換が難しくて細長くする必要があったのです。耕地の長さは200m程度までとなっており、これ以上長いと途中で家畜を休憩させる必要が生じるためでした。
まとめ
高校地理では、二圃式⇒三圃式⇒混合農業という流れで学習します。三圃式農業の解説に時間をかける先生はいないと思いますが、背景を知っていると説明にも説得力が出ますよね。
参考文献
小林浩二(1986)『西ヨーロッパの自然と農業』大明堂
中村和郎・手塚章・石井英也(1991)『地域と景観』古今書院