明治期に北海道の警備と開拓をするために作られたのが屯田兵村(とんでんへいそん)で、全部で37か所が作られました。高校地理では集落地理の単元で登場する有名な用語です。受験生の多くが、「屯田兵村はアメリカのタウンシップ制の影響を受けた散村」と学習するのですが、本記事では屯田兵村が散村とは言い切れないという話をしていきます。
屯田兵とは~時代的背景~
江戸時代を通して蝦夷地と呼ばれた北海道が正式に日本領となったのは1800年頃のことです。江戸時代には、東北諸藩が警備のために出兵を命じられました。
屯田兵とは、明治時代になってから北海道の開拓と警備を目的として、政府が入植させた人たちのことです。普段は開墾・農業を行い、軍事訓練、警備にも従事し、いざ有事が発生すれば戦列に加わることが義務付けられていました。北海道での戦闘だけでなく、西南戦争・日清戦争・日露戦争でも出征しています。しかし屯田兵制度が始まった頃は憲兵として位置づけられていました。通常の軍隊を北海道に置かなかった理由は、ロシアを刺激しないためだったようです(参考『屯田兵とは何か』)。
屯田兵の出身地 都道府県別
1位 石川県 404戸2301人
2位 香川県 335戸2005人
3位 福岡県 347戸1915人
4位 徳島県 329戸1698人
5位 和歌山県 308戸1670人
計 6512戸32808人
Tonden wiki (北海道屯田倶楽部)より
屯田兵村の形態的特徴
「屯田兵村はアメリカのタウンシップ制を参考にした」という一文を受験生は暗記します。すると、屯田兵村は散村であるかのような印象をもつことになるのでしょう。しかし実際のところは、散村の場合もあるし、集村の場合もあります。具体的には、最初の屯田兵村が作られた1875(明治8)年から1890(明治23)年までは、士族が入植して軍事面重視の集落がつくられたために集村が多かったようです。最初の屯田兵村である琴似兵村は、タウンシップの1区画をそのまま集落とした密居村でしたが、次の山鼻兵村以降は路村が中心となりました。1890(明治23)年に制度が変更され、平民の入植も可能になると、農業開拓重視の集落がつくられたために散村が多くなりました。ちなみに、帝国書院や二宮書店の現行『地理B』の教科書に登場する東旭川兵村は、制度変更後最初に募集された兵村です。開村当初は路村からスタートし、後に開拓範囲が広がって散村となったようです。次の図は、東旭川兵村の大正5年測図の地形図です。北部に見えるのが、教科書でよく登場する箇所で、兵村の中心であり街村と言えそうな状態です。その南には路村と言えそうな状態が広がり、更に南には散村と言えそうな状態が分かります。
屯田兵村の形態
前期(1875~1890年) → 集村(密居村から路村へ)
後期(1891~1899年) → 散村
タウンシップ制の影響
アメリカ、カナダ、オーストラリアなどの新大陸地域では、未開拓の土地を開拓するために土地を区画しました。とくにアメリカでは、6マイル(約9.6km)四方の土地を1タウンシップとし、さらにその土地を細かく区分していきました。1862年に制定されたアメリカのホームステッド法では、160エーカー(約65ヘクタール)の公有地を、条件を満たした開拓者に払い下げることになっていました。この土地区画制をタウンシップ制と呼びます。160エーカーとは約800m×約800mの土地のことです。ここに一つの家族が入植したため、アメリカのタウンシップ制が敷かれた地域では、集落の形態は散村となりました。
日本の屯田兵村は1875年から作られていますので、アメリカのホームステッド法成立から13年後となります。しかし屯田兵村が最初からアメリカのタウンシップ制を参考にしていたわけではありません。先述したように最初の琴似兵村は密居村でしたが、各家屋が小さかったり、耕地までの距離があって不便だったり、家屋同士が近すぎてストレスが生じたりといった問題が発生した結果、家屋を分散させる必要が生じたのです。このときに国内外の事例を参考にしたのですが、そのうちの一つがアメリカのタウンシップ制だったということです。家屋を分散させた結果、2つ目の兵村である山鼻兵村からは路村となりました。土地区画は、各家庭に与えられた土地は短冊状ですが、全体としては碁盤目状とも言えます。
まとめ
「屯田兵村はアメリカのタウンシップ制を参考に碁盤目状に作られた散村」という受験生が暗記する内容は、間違っているわけではありませんが、必ずしもそうとは言い切れません。しかし、受験参考書の多くがそのように説明しているので、高校のテストや大学入試を作るときに参考書を参考した結果、結局「碁盤目状で散村」と出題されることも多いでしょう。ですので、一応受験生は「碁盤目状で散村」として覚えておきましょう。社会科の先生方は、「集村と散村それぞれある」と教えるのが良いでしょう。