高校地理で集落の単元が始まると、最初の頃に登場するのが集村と散村です。どちらも初学者にとっては初めて聞く用語でしょう。高校地理・受験地理では、集落は地形図との組み合わせで出題されることもあり、その形態的特徴をおさえておく必要があります。本記事では、集落地理の最初に学ぶであろう集村と散村の違いについて学んでいきます。
マイツェンの研究
高校地理の集落地理の分野、とくに村落地理の分野では、村落の平面的幾何学的形態と村落が成立した歴史的背景を学習します。
前者である村落の形態については、ドイツの農業史学者マイツェンの研究(1895年)が基になっています。マイツェンは、村落の形態を分類するにあたり、民家の配列、道路網、土地割、納屋・集会場のような施設などの要素を組み合わせています。また、自然環境や民族性も重要視しています。
マイツェンは村落を集村、散村、湿地村落、林地村落、円村、街村などに区分しました。
集村とは
集村は家屋が複数戸集まっている形態です。
集村は、その規模によって次のような区分の方法もあります。
集村(数十戸の家屋) > 疎塊村(十数戸) > 小村(数戸) > 散村(1戸ずつ分散)
しかし、高校地理においては集村と散村が分かっていれば十分です。
家屋が集まる理由や利点、欠点としては、次のようなことが考えられます。
集村になる理由・利点
- 外敵から集落を守る
- 農地などを共同所有している
- 農作業などの共同作業を集落で協働する
- 村民の一体感が作られる
集村の欠点
- 各民家の農地が自宅から遠くなる
- 農地が分散し効率が悪い
集村の事例
集村は、民家の配列、道路網、施設の有無などによって類型化されています。
塊村(塊状村)
道路や農家が無秩序に集まっていて、計画性のない外観をもちます。ヨーロッパの塊村では、一般的に村落の中心部に教会があります。計画性のない集落は自然発生的に生まれたものが多く、乏水地における水源(井戸・湧水地)に発生することもあります。
ヨーロッパでは、北フランス~西ドイツ、スペイン~南イタリア~ギリシャの地中海沿いに多く分布します。
円村(環村)・広場村
家屋が円形や楕円形に配列し、その中央には主に牧場としての草地が広がります。この草地は、夜間に羊などの家畜を収容するためのもので、家畜泥棒やオオカミなどから家畜を守る機能があります。
村落の中央に広場がある場合、これを広場村と呼びます。この広場には教会が建っていることもあります。高校地理の教科書・資料集では、同心円がきれいに並んだ広場村の写真が掲載されることが多いようです。
ヨーロッパでは、東ドイツ~ポーランド、デンマーク~スウェーデン、イギリス、フランスに多く分布します。
列村・路村・林地村・街村
家屋が何らかの理由によって列状に並んだ集落を列村といいます。この何らかの理由というのは、台地の縁、扇状地の扇端、自然堤防上、道路・水路沿いなどが考えられます。
列村のうち、道路・水路に沿って家屋が並んでいるものを路村といいます。高校地理では、日本の三富新田が紹介されることが多いです。列村と路村を区別するなら、先に家屋が並んで後に道路ができるようなケースが列村、先に道路があって後に家屋が並ぶようなケースが路村と考えると良いでしょう。
列村のうち、中世のドイツやポーランドで林地を開拓して作られた路村をとくに林地村とよびます。家屋の背後に耕地が短冊状にのびているのが特徴です。
列村の家屋の密集度が増し、農業中心から商業中心の集落に変化すると、これを街村とよびます。日本の門前町や宿場町などが該当します。
散村とは
家屋が1戸ずつ分散している集落を散村とよびます。これには自然発生的にできたものと、計画的に作られたものがあります。
自然発生的に散村となる理由としては、これは集村の逆を考えれば良いわけですが、外敵から身を守る必要が無いとか、集落内の血縁関係や宗教的関係が希薄であるとか、家畜飼育の比重が高いといった理由があげられます。日本の散村の代表である砺波平野では、扇状地上の平野にあり水利が良い、つまりどこでも水が手に入るという理由があげられます。讃岐平野の散村は、条里制の影響によるものと推測されます。
ヨーロッパでは、北欧、アルプス山脈、イギリス高地などに分布します。日本では、砺波平野・黒部川扇状地(以上富山県)、大井川下流域(静岡県)、豊川流域(愛知県)、讃岐平野(香川県)、出雲平野(島根県)などで見られます。
計画的に作られた散村としてはアメリカのタウンシップ制度が有名で、日本の屯田兵村もこれを倣ったものです。
散村の利点
- 民家の周囲に農場が集まり、農業の効率が良い。
散村の欠点
- 村民同士の接触が減るため、村落の一体感が作られにくい。
- 社会生活上不便である。
集村から散村への移行
集落の形態は時代とともに変化することもあります。例えば18世紀頃のイングランドでは、囲い込み運動(エンクロージャー)によって農民が離村した結果、村落は散村へと移行しました。またアメリカのニューイングランド地方でも、先住民や野獣から集落を守る必要性が薄れた18世紀に散村に移行しています。
散村から集村への移行
逆に、散村が集村に移行したケースを見ていきます。散村もしくは小村が卓越していた日本の大和盆地では、応仁の乱の混乱によって人々が集住し、環濠集落を代表とする防御的な集落を形成したのでした。