セマウル運動は地理の授業でどう扱われるのか~成果と課題を簡単に解説~

セマウル運動は地理の授業でどう扱われるのか~成果と課題を簡単に解説~

朝鮮半島地誌の授業で登場するセマウル運動ですが、名前の暗記ばかりでは地誌学習が味気ないものになってしまいます。植民地支配から解放された後の韓国の歴史を大雑把に把握し、その流れの中でセマウル運動の位置付けを明確にしましょう。 

セマウル運動に至る背景 

  朝鮮戦争(19501953年)によって一度は国土が荒廃した韓国ですが、日韓基本条約(1965年)によって日韓の国交が回復すると、日本からの資金・技術援助を受けて韓国は急激な工業化が進みました。この工業化は「漢江の奇跡」と呼ばれています。 

 また1960年代に韓国政府が制定した第1次・第2次五か年計画は、工業部門の開発に重点が置かれていました。その結果、都市と農村の間の経済格差が広がってしまうことになったのです。 

セマウル運動の内容 

  19704月、全国地方長官会議の場で、朴正煕(パク・チョンヒ)大統領(当時)が提唱したのがセマウル運動です。セマウルのセは「新しい」、マウルは「村」という意味ですので、経済発展から取り残された地方の農村地帯を開発しようという運動です。

 高校地理では、同じような地域開発の例として次のような計画が登場します。

 日本 → 全国総合開発計画

 中国 → 西部大開発

 イタリア → バノーニ計画

 韓国 → セマウル運動

ちなみにマウルと呼ばれる村の大きさは、小さいもので20戸、大きいもので100戸程度の集落です。 

 大統領自ら「セマウル歌」という歌を作詞作曲し、全国で早朝から拡声器を使って繰り返し流すなどの徹底ぶりで、農村での意識改革を図ったのでした。 

 首都には「セマウル運動中央協議会」が設置され、各マウルに「セマウル指導者」を認定、また各学校に「セマウル担当教師」が置かれました。このようにして全国で画一的に進められたのがセマウル運動の特徴です。 

 セマウル運動の内容には大きく三つ事業があります。①精神的な側面、②生活環境の改善、③所得の工場です。 

セマウル運動の成果と課題 

  セマウル運動は、中央からの指導を地方が推進するというトップダウンの開発でしたが、表向きは自発的な活動ということになっていました。 

 セマウル運動によって、家屋が改修されたり道路が拡張されたりするなど環境が「新しく」なりましたし、セマウル工場ができたりして農民の所得も向上しました。一方で伝統的な習俗や祭祀などが廃止されるなど、今となっては残念なことも起こりました。これはどこの国でも工業化の過程で起こりうることですが残念でなりません。 

まとめ 

 セマウル運動は1970年代から1980年代にかけて行われた農村地域の開発運動です。私は1990年代から何度も韓国を訪問し、韓国の各地を巡っていますが、2000年頃には日本よりもはるかに先を行くIT先進国だと思わされ、IT化の遅れた日本の現状を残念に思っていました。つまり1990年代には韓国は「新しく」なっていたのであり、セマウル運動は一定の成果を上げたのだと実感しています。 

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