ケルト人は何語を話しているのか~地理的な分布

ケルト人は何語を話しているのか~地理的な分布

日本人が小学校で習うリコーダーの曲といえば「蛍の光」。これはスコットランド民謡です。リコーダーは、ケルト民族の伝統楽器バグパイプに似たものです。ところが、日本ではケルト人と言われてもピンとこないのです。これは恐らくケルトという名がつく国が無いからでしょう。本記事では、ケルト人とは何者で、その分布域はどこなのかを学習します。 

ケルト人の特徴・文化 

 ケルト系の民族が伝統的に使用してきた言語は、インド・ヨーロッパ語族のケルト語派に属します。大きな括りでは他の主なヨーロッパの言語(ゲルマン系、ラテン系、スラブ系等)と同じグループに属しますが、小さな括りではケルト系で単独のグループとなっています。ただし、現実問題としては、ケルト系の民族であっても英語やフランス語といった居住地の言語を使っており、あくまで「伝統的な民族の言語」としてケルト語を扱います。 

 ケルト族の言語 ⇒ インド・ヨーロッパ語族 … ケルト語派 

   ケルト系民族は、後述するように、各地に散らばっています。ですので、ケルト族イコール特定の宗教の信者ということにはなりません。古代ケルト人は自然崇拝の多神教徒だったようで、ドルイドと呼ばれる神官が知られています(テレビゲーム等にもよく登場しますよね)。その後キリスト教が普及して、基本的にケルト人もキリスト教徒となりました。ただし宗派に関しては、地域によって異なるので一概に言えません。 

ケルト人の分布 

 元来ケルト人はヨーロッパ大陸全域およびブリテン島に居住していたわけで、ヨーロッパ文化の基礎を作ったとも言えます。 

 紀元前58年からカエサルのガリア侵攻が始まると、ケルト人たちはローマに追われるか同化するかして、ローマの支配の及ばなかった地域(スコットランド、ウェールズ、アイルランド等)で民族が存続してきました。 

 375年にゲルマン民族の大移動が始まると、更にケルト人の居住地は失われ、ヨーロッパ大陸におけるケルト社会はほぼ失われます。ゲルマン人はブリテン島にも進入し、島を追われたケルト人は大陸に逃げ戻り、フランスのブルターニュ地方に定着します。 

   現在、ケルト族としてのアイデンティティを強く持つ地域は以下の通りです。 

  

 スコットランド(U.K.) 

 アイルランド(共和国および北アイルランド) 

 ウェールズ(U.K.) 

 マン島(英国王室領) 

 コーンウォール地方(U.K.) 

 ブルターニュ地方(フランス) 

  

 また新大陸には、ケルト系の植民者の多い土地もあります。 

  

 ノヴァスコシア州(カナダ):「新しいスコットランド」の意 

  

 一方で、名前からケルト系かと思われるものの、実際はケルト系の土地でないケースもあります。 

  

 ニューサウスウェールズ州(オーストラリア):ジェームズ・クックが命名してイギリス領に 

各国のケルト人の状況 

スコットランドのケルト人 

 ブリテン島の北部にあるスコットランドには、ケルト系のスコットランド人が住んでいます。2世紀にローマ皇帝ハドリアヌスが「ハドリアヌスの長城」を建造したことで、これが事実上の国境のような役割を果たし、これよりも北がスコットランド人の土地とみなされてきました。 

 スコットランド王国は1707年にイングランド王国と連合国家を作り、現在に至ります。首都はエディンバラで、エリザベス2世が国王です。 

 スコットランドには独自の議会(定数129)・政府があり、年々自治権が拡大されてきましたが、独立運動も盛んです。スコットランドの独立を目指すスコットランド民族党(SNP)が議会の最多議席を占めており、2014年には独立を問う住民投票も実施されましたが否決されました。 

 人々は基本的に英語を話します。映画『トレインスポッティング』で使われているスコットランド訛りの英語を聞き取れたら大したものです。一方で、ケルト系の言語であるスコットランド・ゲール語を復興させようという動きもあり、現在はスコットランドの公用語の一つになっています。 

 宗教は、2001年の国勢調査によると、スコットランド国教会(プロテスタント)が人口の約42%で最大宗派。次いでカトリックが16%です。 

 スコットランドの文化として、タータン、バグパイプ、男性のスカート、スコッチ(ウィスキー)などが知られています。 

アイルランドのケルト人 

 アイルランド共和国は、現在ケルト系の国として独立している唯一の国家です。過去にはバイキング、ノルマン、アングロ・サクソンなどと混血が進みましたが、彼らがケルト文化に溶け込んでいった結果、アイルランドはケルト文化を保持し続けることができました。ただし、17世紀初頭にイギリス王ジェームズ1世が北アイルランドのアルスター地方にプロテスタントを大量入植させたことで、北アイルランドだけは民族構成が異なっています。 

 クロムウェルによる一時的な支配(イングランド共和国)を除けば、アイルランドがイギリスの支配下に入ったのは1801年です(グレートブリテンおよびアイルランド連合王国)。その後の独立闘争そして独立戦争を経て、1922年、北アイルランドを除く地域がイギリス連邦内の自治領としてアイルランド自由国を成立させます。1949年にはアイルランド共和国としてイギリス連邦から脱退・独立しました。 

 現代のアイルランド人は英語を母語としていますが、やはり政策としてケルト系言語の復興が行われており、アイルランド・ゲール語(アイルランド語)が第一公用語、英語が第二公用語という位置付けになっています。 

 2016年の国勢調査によると、アイルランド人の78.3%がカトリック信者という結果が出ています。 

北アイルランドのケルト人 

 先述したように、17世紀にプロテスタントのイギリス人が大量入植したことで、アルスター地方はアイルランド島の中では特殊な民族構成となりました。 

 1922年にアルスター地方を除く形でアイルランド自由国が成立したことで、この地方は現在に至るまでイギリスの一部のままです。 

 アルスター地方のアイルランド編入を求める勢力は、アイルランド共和国軍(IRA)という非合法軍事組織を結成し、プロテスタント勢力との闘争になります。1994年に停戦宣言が出されましたが、その後もテロが続きます。 

 現在はテロは収まり、1998年の合意によって北アイルランド議会が作られ、自治が行われているという状況です。議会における英国派とアイルランド派の比率はほぼ同じです。 

 北アイルランドにおける民族比率を宗教で判断すると、2001年の調査ではプロテスタントが45.5%、カトリックが40.3%ということで、プロテスタントが優勢です。 

 言語は、英語、アイルランド語、アルスター・スコットランド語が公用語となっています。 

ウェールズのケルト人 

 ウェールズ公国が1283年にイギリスに征服されて以降、ウェールズは現在に至るまでイギリスの一部となっています。ウェールズの領主たるウェールズ大公の地位もイギリスに奪われ、現在に至るまでイギリスの王子によって受け継がれています(現在はチャールズがプリンス・オブ・ウェールズ)。首都カーディフにはウェールズ議会(定数60)があります。ウェールズの独立を目指す地域政党プライド・カムリ(ウェールズ党)が10議席を獲得しています(2016年選挙)。 

 イギリスに征服されてから長い年月が経っているものの、ウェールズ人はケルト人としてのアイデンティティを持ち続けています。英語と並んでウェールズ語も公用語とされていますが、ウェールズ語を使えるのは住民の約2割だそうです(wikipediaより)。 

 宗教は、イギリス国教会がウェールズで最大の宗派となっています。 

マン島のケルト人 

  マン島は、グレートブリテン島とアイルランド島の間にある小さな島です。イギリスの一部として扱われることが多いのですが、法的にはイギリス王室の属領です。TTレースというオートバイのレースで有名です。歴史的にはイングランド領になったりスコットランド領になったりを繰り返してきましたが、住民は民族的にケルト系です。マン島独自の言語であるマン島語はケルト系の言語で、英語と並んでマン島の公用語になっています。他地域同様、民族意識高揚のため、マン島語の復興が図られています。 

コーンウォール地方のケルト人 

   イギリスのコーンウォール地方は、ブリテン島の南西部に位置し、その僻地性ゆえにケルト人が居住し続けた土地です。あらゆる点でイギリスに同化が進んできましたが、現在はやはりケルト文化を復興させようという運動が行われています。ケルト系のコーンウォール語も、母語として使う者は一度途絶えましたが、現在は復興が図られています。コーンウォールの土地は、イギリスの一部でありつつもコーンウォール公爵の領地とされており、現在はチャールズ公がコーンウォール公爵の称号を受け継いでいます。 

ブルターニュ地方のケルト人 

  ブルターニュ地方はフランスのへき地です。ガリア(フランス)がローマの支配下に入ると、ブルターニュもローマに同化していきます。4世紀後半にゲルマン民族の移動が始まり、ゲルマン民族の一派アングル族とサクソン族がブリテン島に進入したことで、ブリテン島のケルト民族の一部が大陸に移住しました。これがブルターニュ半島に住むケルト系のブルトン人です。このブルトン人が10世紀にブルターニュ公国を作り、16世紀にフランスに併合されるまで存続します。このように、ブルターニュ地方のケルト人たちは独自の文化を保ち続けることができたのです。 

 フランスに併合された後も、ブルトン人たちはケルト民族のアイデンティティを保ち続け、第二次大戦後は過激な武力行為も見られましたが、現在は独自の文化を保持する平和な運動が中心となっています。ケルト系のブルトン語の話者は現在でも20万人はいるようです(wikipediaより)が、ブルトン語はフランス国または地方の公用語になっていません。 

ノヴァスコシアのケルト人 

 ノヴァスコシア州はカナダ東部にある(カナダでは)小さな州です。ラテン語で「新しいスコットランド」という意味で、植民地の命名法としてはよくあるパターンです。 

 この一帯はアカディア植民地と呼ばれ、フランス人が最初に大量植民した場所です。ケベック(ヌーベル・フランス)とニューイングランドに挟まれ、仏英が覇権争いを繰り広げました。イギリスがこの一帯を支配していた時にスコットランド人が大量に入植しました。そのため「新しいスコットランド」という地名となります。 

 2006年の調査によると、州で最大の人口はスコットランド系(31.9%)、次いでイギリス系(31.8%)、アイルランド系、フランス系、ドイツ系と続きます。複数回答が可能なため、合計は100%を超えます。また、40.9%がカナダ系とも答えています。 

 地理用語一覧はこちら

 

文化カテゴリの最新記事