【クルディスタン】クルド人の特徴と各国における事情【クルド難民】

【クルディスタン】クルド人の特徴と各国における事情【クルド難民】

「独自の国家をもたない世界最大の民族」と表現されることのあるクルド人は、西アジアを中心に複数の国々にまたがって居住しています。それぞれの国では「少数民族」の扱いですが、クルド人全体では数千万人(4000万人弱か?)いるとも言われます。本記事では、クルド人の民族的特徴と、各国におけるクルド人の状況を概観します。 

クルド人の特徴 

   クルド人が話すクルド語は、インド・ヨーロッパ語族のインド・イラン語派に分類されます。よって、大きな括りでは英語やフランス語と同じグループ、小さな括りではインドやイランの言語と共通点が見られます。 

  

 言語 ⇒ インド・ヨーロッパ語族 インド・イラン語派 イラン系諸語 

  

 宗教は、一般的にはイスラム教のスンナ派です。イスラム教徒にとってだけでなく、キリスト教徒にとっても英雄とみなされているアイユーブ朝の創始者サラディンがクルド人だったと考えられています。 

  

 宗教 ⇒ イスラム教スンナ派 

  

 クルド族の人種形質的特徴は、「浅黒い皮膚色に、茶色の髪の毛と瞳をもつ」とされ、これはクルド人の原型民族にアラブ系、トルコ系、モンゴル系などが混血して出来上がったとのことです。(『世界の民族地図』作品社より) 

クルド人の分布 

  

 独自の国家を持っていないため、クルド人全体で人口がどれくらいなのか正確なところは分かりません。クルド人口の多いとされている国は以下の通りです。 

  

トルコ 人口の18.9%(2000年) ⇒ 約1548万人 

イラン 人口の13.0%(2000年) ⇒ 約1066万人 

イラク 人口の23.0%(2000年) ⇒ 約905万人 (以上『データブックオブザワールド2019』より) 

シリア 人口の10%(2000年) ⇒ 約169万人 (外務省HPより) 

各国におけるクルド人の事情 

   クルド人の祖先を遡っていくと、古代オリエントのメディア王国にたどり着くと言われています。このペルシア系のメディア人が、先述したアラブ人、トルコ人、モンゴル人、アルメニア人などと混血し、現在のクルド族が形成されていったようです。 

 近代のクルド族は、オスマン帝国の支配下にありました。第一次大戦中には、「サイクス・ピコ協定」と呼ばれる密約によってクルディスタンは分割されることが決まりました。第一次大戦後の「民族自決」の風潮の中で、一度はクルド人の国家樹立が連合国から認められます(セーブル条約)が、結局独立は叶いませんでした(ローザンヌ条約)。クルド人は複数の国の中でそれぞれ少数民族として生きていくことになったのです。 

 それでは、各国でクルド人がどのような状況に置かれてきたのかを見ていきます。

イランにおけるクルド人 

  イラン領に住むクルド人たちは、クルディスタン民主党(KDP)を結成して独立運動を起こします。彼らはソ連の支援を受けて、1946年、クルディスタン共和国(首都マハーバード)として独立しました。しかしソ連の撤退とともに、同年に消滅しました。 

 その後は、現在に至るまで、クルド人に対する厳しい同化政策がとられています。 

イラクにおけるクルド人 

  イラク領に住むクルド人たちは、1946年、クルディスタン民主党(KDP)を結成し国家に抵抗します。1970年、バース党政権はクルド人に対して自治権を認める平和協定を結びました。しかしクルド人の土地にキルクーク油田が発見されると状況は一転し、内戦が始まりました。 

 この対立はフセイン政権でも続き、独立闘争に対しては厳しい弾圧を加えました。また一方でクルド人同士の内戦も起きました。しかし米英を中心とする多国籍軍がクルド人を支援したことで、湾岸戦争とイラク戦争を経てクルド人はイラク内のクルディスタンの支配権を手に入れました。 

 2003年にフセイン政権が崩壊すると、クルド人同士の対立は解消され、2005年に新生イラクを構成する連邦の一部として自治権が正式に認められました。同じ2005年に、クルディスタンの独立を問う非公式の住民投票が実施され、98.8%の賛成票が得られます。2017年にも独立を問う住民投票を実施し、9割の賛成票を得て勝利宣言しますが、イラク政府が独立を認めないという状況です。 

トルコにおけるクルド人 

  トルコでは1978年、クルド労働者党(PKK)が結成され、テロ活動を展開します。トルコ軍とPKKの間で、内戦と休戦を繰り返しながら現在に至っています。 

シリアにおけるクルド人 

  シリアを委任統治したフランスは、シリア内の多様な民族を分断することで支配を維持しようとし、クルド人などの少数派勢力を優遇することでシリア自体の独立運動を抑え込んできました。シリアの独立後は、クルド人系の軍人によるクーデターがおき、1954年に民政が復活するまで「クルド軍事政権」と呼ばれ批判されました。1957年、シリア・クルド民主党が結成されますが、政府からは弾圧を受けます。2011年に内戦が始まると、クルド人はシリア北部の支配権を手に入れ、クルド民主統一党(PYD)が統治するようになりましたが、現在進行形で複雑な状況となっています。 

まとめ 

  以上のように、西アジアには各国にクルド人が住み、それぞれ独立や自治を求め活動しています。しかしながら、それぞれの国のクルド人が連帯してクルド人の統一国家を作ろうという動きにはなっていません。それは、例えばイラクがトルコのクルド人勢力を支援する一方で、トルコがイラクのクルド人を支援するように、各国の政治的駆け引きに利用されていること。そしてクルド人同士の内紛も起きていることなどが原因です。 

 私も2019年の夏にフランスのパリを訪問した際に、大量のシリア難民がホームレス化しているのを目撃しました。その中にはクルド人もいたことでしょう。 

 「独自の国家を持たない世界最大の民族」という呼称は、まだまだ続きそうです。 

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