今から約2000年前のヨーロッパでは、観測の結果から地球は丸いものとされ、その大きさまでも計算で導き出されていました。その科学的知識に基づいて作られたのがプトレマイオスの世界地図です。本記事では、プトレマイオスの世界地図の特徴を学びます。
プトレマイオスの人物像
プトレマイオスの本名は、クラウディオス・プトレマイオスといい、古代ローマ時代のギリシャ人学者です。83年頃 – 168年頃の人物です。ラテン語でのスペルは「Claudius Ptolemaeus」で、日本では「プトレマイオス」と呼んでいます。英語でのスペルは「Ptolemy」で、この場合「トレミー」と呼びます。ですので、多くの参考書で「プトレマイオス」と「トレミー」の両方の表記がされています。
2世紀頃にアレクサンドリアで活躍し、『アルマゲスト』という天文書と『地理学』という地理書を残しています。これら著作の特徴は、数理的知識を用いて、できるだけ正確に世界を描こうとしたことにあります。
プトレマイオスの世界図の特徴
プトレマイオスは、地球が丸いという前提に立ち、経線と緯線を設定しました。しかし球体をそのまま平面に表すことはできないので、今でいう円錐図法という地図投影法を考案して世界地図を作りました。
教科書等に掲載されているプトレマイオスの世界図は、後の時代に作られた写本に載っていたものです。しかし、プトレマイオスが作ったものとして扱われています。
当時の技術でも緯度は比較的正確に測ることができました。しかし、正確な時計の無い当時は、経度に関しては正しい計測はできず、結果として東西の情報が不正確な地図となっています。
また、サハラ以南のアフリカや、アジアに関しては、伝聞や空想によって描かれています。プトレマイオス自身が数理的な知識を重んじた学者であったために、この空想による描写は後に大きな誤解を生むことになります。
用語解説 円錐図法:丸い地球を平面で表すための図法の一つ。球体に円錐をかぶせ、球の中心から光を放ったという設定で映し出された地図。広げると扇状になる。扇の下部にいくほど拡大されて不正確になる。
地図史の中でのプトレマイオス図の位置づけ
古代ギリシャから古代ローマにかけての時代は、科学が発達し、科学的な世界観が広まった時代です。その中で、プトレマイオスという学者が現れ、現在でも通用するような科学的な地図を作製したのです。
ところが、西ローマ帝国の崩壊によって、それまで蓄積された科学的知識は失われます。都市や文化は破壊され、民族の大移動が起き、この動乱期の中で人々はキリスト教への信仰に救いを求めるようになっていくのです。
その結果、科学的な知識はいったん否定され、TOマップで表されるようなキリスト教的な世界観がヨーロッパでは支配的となったのでした。
ルネサンスの時代になり、1406年、プトレマイオスの『地理書』がラテン語に翻訳されます。その後の活版印刷技術の発明により、ヨーロッパで『地理書』が普及し、ヨーロッパにおける球体世界観は復活したのでした。