高校地理における輸出加工区は、中国の経済特区が有名です。発展途上国が外国の資本・技術を導入して工業化を推し進めるためには有効な手段です。本記事では、世界各国の輸出加工区について、高校地理で取り上げられる範囲でまとめていきます。
輸出加工区とは何か
輸出加工区は、原則として製品の輸出を条件に、工場を設置しようとする外国企業に対して、税制、事務手続き、工場用地取得などで優遇措置をとる地区のことです。主に発展途上国が輸出加工区を設定し、雇用の増大、外貨の獲得、技術の導入などを図ります。
優遇措置がとられる地区の呼び方は国によって異なり、自由貿易区、保税区、経済特区などと呼ばれます。
中国の輸出加工区(経済特区)
1976年に毛沢東が死去し、中国における社会主義運動(文化大革命)は終焉します。ここから中国は改革開放政策に切り替え、対外開放を推進します。その一環として、輸出加工区の設置が行われました。
経済特区:1979年、4か所に設置。1988年に1か所が追加され、計5か所。
特区外の一般の中国人は、入域が厳しく制限されています。
厦門(アモイ) ← 台湾の対岸にあり、台湾企業の誘致を目指しました。アモイは華僑の出身地の一つです。
汕頭(スワトウ) ← 華僑の出身地として知られています。とくに、潮州人や潮汕人とよばれる華僑集団が東南アジアから台湾にみられます。華僑系企業の誘致を図りました。
深圳(シェンチェン) ← 香港の隣。小さな漁村に過ぎなかったこの町が、香港の隣という地の利を生かして経済特区に。最初は香港系企業の下請け工場という位置づけだったものの、現在は「中国のシリコンヴァレー」と称されるほどに。HUAWEI、テンセント、ZTEなどを生み出した起業の街。
珠海(チューハイ) ← マカオの隣。マカオ系企業の資本で発展。
海南(ハイナン)島 ← 1988年に5つ目の経済特区として設立。島全体が特区。「中国のハワイ」と称されるように、リゾート開発もされていますが、経済特区としての発展はいま一つ。
経済技術開発区:1984年、経済特区に次ぐ開発区として設定。臨海14都市でスタートし、その後は内陸の都市にも拡大し、2019年には54都市まで増えています。経済特区は中国人であっても入域が厳しく制限されていますが、経済技術開発区は厳しくありません。
北朝鮮の輸出加工区
羅先(ラソン):経済貿易地帯というのが正式な名称ですが、報道等でも「経済特区」と呼ばれています。中国・ロシアとの国境に近いという利点があります。また、中国東北地方にとっては、遼東半島を経由しない貿易経路としての価値があり、羅先の港は中国が使用しているとの情報があります。
新義州(シニジュ):国際経済地帯というのが正式な名称のようですが、名称にこだわる必要はありません。市場経済を試験導入するために2002年に設置。中国企業の誘致を目指しました。初代長官として中国系オランダ人実業家か就任する予定でしたが、中国当局に逮捕されてしまいます。そのまま経済特区の話もうやむやに。
開城(ケソン):経済開発特区地区。金大中・韓国大統領(当時)の太陽政策によって2002年に設置。現代グループを中心に韓国企業が資本と技術を提供。南北朝鮮の関係悪化にともなって、2016年に運用停止。
台湾の輸出加工区(加工出口区)
高雄(カオシュン)、台中(タイジョン)、楠梓(ナンツー)、屏東(ビンドン):
台湾語では加工出口区。工業化が遅れていた台湾では、1966年に高雄に、後に楠梓と台中に輸出加工区を設置します。当時は、安価で豊富な労働力を提供して軽工業品を製造していました。しかし現在の台湾は経済発展し、製造品も半導体、電子機器などハイテク産業に転換されています。現在の加工出口区は、高雄、台中、屏東の3地区に分かれています。
参照:石田浩(2004)「台湾における輸出加工区の現在的意義 : 産業の高 度化と産業価値パークへの転換」『関西大学経済論集54巻』
韓国の輸出加工区
馬山(マサン):1970年、馬山輸出加工区の設置。対馬海峡に面した都市を指定したことからもわかるように、日本の企業を誘致するために設置されました。釜山(プサン)港と高速道路でつながったことも利点でした。そのころ日本では、海外投資に対する規制が緩和されたため、日本の企業が積極的に資本・技術を提供しました。しかし、韓国における人件費の高騰により日系企業が中国や東南アジアに工場を移転すると、馬山も衰退します。現在は、馬山自由貿易地域という名称でハイテク産業への転換を図っています。
参照:張貞旭(2007)「韓国の馬山輸出加工区の経済的な効果と外国直接投資(上)」『松山大学論集』
タイの輸出加工区
サムットプラカーン:タイにおける輸出加工区の代表例として教科書等に登場するのが、このサムットプラカーンです。首都バンコクの南、チャオプラヤ川の河口部に位置しています。
ところで外国企業がタイに工場を置く場合、その多くがバンコク周辺を選択します。現地駐在員の生活の利便さや、現地従業員の人材確保といった理由からです。この一極集中を解消するために、タイ政府は「地方に行くほど優遇措置が得られる」という制度を設けています。その結果、日本の企業も、バンコクから少し離れたパタヤ周辺に企業が集まりました。タイにおける2校目の日本人学校が、パタヤ方面のシラチャに作られたことからも分かります。しかし、バンコク周辺への一極集中が解消される兆しはありません。
フィリピンの輸出加工区
フィリピンには、379の経済特区があり(2018年)、フィリピンの輸出高の83%以上が経済特区の企業によるものです。フィリピンに進出している日系企業1502社(2017年、財務省)のうち、1153社が経済特区に登録された企業です。(N.T.フィリピンズ社のHP参照)
マレーシアの輸出加工区
すず、天然ゴム、パーム油といった産品に依存していたマレーシア経済が、首都クアラルンプール近郊のシャーアラムなどに輸出加工区を設置し、外資を導入しました。その結果、東南アジアの中でもシンガポールに次ぐ豊かな国を作り上げることに成功しました。しかしながら、一人当たりGNIが1万ドルにせまり、もはや発展途上国とも言えない状況になっています。人件費が高騰した現在となっては、外国企業にとってマレーシアは魅力的な投資先ではありません(中所得国の罠)。2006年、首都近郊のクランに新しく輸出加工区を設置しましたが、状況は良くないとのことです。
シンガポールの輸出加工区
ジュロン工業団地:シンガポールの南西部に位置するジュロン地区では、1960年代に工業団地がつくられました。この工業団地の特徴は、近隣に公営住宅がつくられて、職住近接型の工業団地となったことです。工業化を進めたシンガポールは経済発展をし、アジアNIEsの一つに数えられるほどになりました。現在は、ジュロン地区の沖合に点在した島々を埋め立てて「ジュロン島」という人工島を作り、石油化学工業が集積しています。
インドネシアの輸出加工区
バタム島・ビンタン島・カリムン島:この3島は、シンガポールから近くて人件費が安いという利点を生かして、自由貿易区に指定されています。主にシンガポールの企業が中心ですが、日本の企業も進出しています。
メキシコの輸出加工区
マキラドーラ:1960年代のメキシコでは、アメリカ合衆国への密入国をめざす人たちが北部国境地帯に集まり、失業者が増大していました。1965年、雇用の増大を図るために、アジアの輸出加工区を参考にして作られたのがマキラドーラです。国境地帯の都市、とくにティハナ、シウダーファレスを中心に設置されました。1980年時点で、工場の数は、ティファナ123、シウダーファレス121、メヒカリ79、ノガレス59、マタモロス50、アグアプリエタ22の順となっていました。主にアメリカ向けの製造業が中心ですが、日本の企業も進出しています。日本の企業が進出する場合には、アメリカに現地企業を設置して、その現地企業に商品を納める形をとるため、結局は「アメリカ向け」となります。
1994年にNAFTAが発効した後は、メキシコとアメリカの間では関税が撤廃されました。それ以降もマキラドーラでは、関税だけでなく関税以外の税も免除されました。よってNAFTA制度よりも条件が良く、マキラドーラは存続することになりました。
2006年からマキラドーラは、IMMEX(輸出向け製造・マキラドーラ・サービス業振興プログラム)と名称を変えて存続しています。
ブラジルの輸出加工区
マナウス・フリーゾーン:1967年に設置された保税加工区です。マナウスは、アマゾン川の中流域に位置する大都市で、天然ゴムの集散地として栄えてきました。現在は世界中の企業が進出しており、日本からは本田技研工業、ヤマハ発動機、ソニーなどが進出しています。1976年にマナウスに進出した本田技研工業はブラジルに二輪車を普及させ、現在年産160万台を製造し、ブラジルでの二輪車シェアは80%を誇っています。